「光る君へ」と読む「源氏物語」第23回
第二十三帖<初音 はつね>
「光る君へ」第36回は、道長の娘・彰子(見上愛さん)が出産する際に、大勢の公卿たちも集まって祈りを捧げていました。
時代考証の倉本一宏さんによれば、当時の公卿たちは
①一条天皇の第一皇子・定子の産んだ敦康親王が皇位の第一継承者・東宮になると、定子の兄である伊周・隆家が権力を持つ時代に変わって、道長についていた自身の立場が危くなったり、激しい抗争が起きたりする可能性がある
②一条天皇の在位中の東宮・居貞親王(後の三条天皇)の東宮妃・藤原娍子の父・済時は亡くなって後見が脆弱である上に、第一子・敦明親王は乱暴者で、もしもこのような人物が天皇となったら世が乱れてしまう可能性がある
③道長が政権を握ってから10年を越え、当初あった未熟さが薄れ、皆に気を使うことからも人望が高くなっているので、道長の娘が皇子を出産し、その皇子が天皇を継承して道長による安定した政権が続くのであればそのほうが望ましい、と考えていたとのこと。
実際に、敦康親王や敦明親王ではなく、彰子の産んだ皇子・敦成親王が東宮になれたのは、身分が高いことに甘えず、だんだんと研鑽を重ねて人望を得ていった道長の後見があったからかもしれません。
第32回は、彰子が皇子を産むきっかけとなる「桐壺の更衣」の登場する物語が一条天皇に気に入られ、まひろが女房として藤壺に初めて出仕するシーンが描かれました。古参の女房たちが居並んで出迎え、新参者を値踏みする鋭い視線は突き刺さるようで、新参者なのに寵愛をうけて苛められた光る君の母・桐壺の更衣や、京に入っても、なかなか六条院に移り住もうとしなかった明石の君や、京から遠く離れた筑紫で育ち、光る君に引き取られて戸惑い、気おくれする玉鬘を連想いたしました。
今回は、そんな新参者たちが、小さな幸せを見出し、少しずつ居場所を見つけてゆく様子をみてみましょう。
第二十三帖 <初音 はつね(鳥や虫が、その季節で最初に鳴く声 特に鴬の鳴く声から新年の初便り>
新年(新暦で2月初旬)を迎えて、六条院はさらに美しい佇まいです。とりわけ春の町の南の御殿の庭は、梅の香りが薫物(たきもの 様々な香を調合した練香をたくこと)と相まって極楽浄土のようで、紫の上は穏やかに過ごし、光る君と仲睦まじく新年の祝い言を交わしています。
光る君が明石の姫の方へ行くと、明石の君から明石の姫への贈り物に添えて歌が届いていました。
年月をまつにひかれて経(ふ)る人に けふ鴬の初音聞かせよ 明石の君
長い年月 小松(明石の姫)に会う日を待ちわびて過ごす私に 今日は鴬の初音(初便り)を聞かせてください
光る君は「この御返事は、ご自分でしなさい」と硯の用意をして明石の姫に書かせ、今まで明石の君を長年、実の娘と隔ててきたことを「罪作りで心苦しい」と思います。
ひきわかれ年は経れども鴬の 巣立ちし松の根を忘れめや 明石の姫
お別れしてから年は経ちましたけれども 鴬が巣立った松を忘れないように 生みの母を忘れましょうか
光る君が夏の町に行くと、その季節ではないからか、とても静かで、花散里が品よく住んでいる様子が伺えます。年の暮れに贈った薄藍色の小袿は地味で、花散里は髪も盛りが過ぎて少なくなっていました。「かもじ(添え髪)で繕ったらいいのだけれど、私でなければ長く見ているうちに興ざめしそうな様子のこの方を、こうして世話をするのが嬉しく満足なのだ」などと、光る君は自分の気の長さも、花散里の落ち着いた様子も、得難いものと思っています。
西の対の玉鬘は、まだ六条院に馴れてはいないながら、すっきりと美しく住まいを調えています。山吹襲(表地は朽葉 (くちば 赤みを帯びた黄色) 、裏地は黄)の衣で引き立つ容貌は華やかで、いつまでも見ていたい美しさ。「こうして引き取って世話をしていなかったら」と思うにつけても、玉鬘を見過ごすことができそうにない光る君。対面はしていても考えてみれば実の父親ではないと、玉鬘が心から打ち解けようとしないことにも、光る君は惹かれるのでした。
日が暮れる頃、光る君が冬の町に行くと、御簾のうちから薫物の香りがして、とりわけ気品高く感じられます。明石の君の姿は見えず、唐渡りの錦の敷物に琴が置かれ、心のままに古歌を写した手習いに書き混ぜて、明石の姫への返歌がありました。
めずらしや花のねぐらに木づたひて 谷の古巣をとへる鴬 明石の君
なんて珍しい 花のような美しい御殿に暮しながら 古巣を訪ねる鴬のように 私に初便りをくれた姫
光る君も筆をとっていたところへ、明石の君がにじり出てきました。年の暮れに贈った白い小袿に、鮮やかに髪がかかって優美にみえて、心動かされた光る君は、紫の上を気にしながらも明石の君のもとに泊まります。
夜が明けないうちに、光る君が紫の上のいる南の御殿に戻るのを、明石の君は名残惜しく寂しく思います。ゆうべ泊まったことが気にさわっているだろうと紫の上の機嫌をとっても返事も返ってこないので、光る君は眠ったふりをして、日が高くなってから起きました。その日は臨時の宴で客が来るのに紛れて、光る君は紫の上と顔を合わせないようにしています。やがて上達部や親王たちなど、たくさんの人々が集まって、管弦の遊びが始まりましたが、光る君と肩を並べられる人は誰もいないのでした。
数日してから、光る君は二条の東の院の女性たちを訪ねます。末摘花は美しかった髪もすっかり白く薄くなってしまい、赤い鼻の色ばかりが目立っているので、顔を見ないように几帳で隔てる光る君。柳襲(表地は白、裏地は青)の織物も似合わず、兄の阿闍梨(あじゃり 高僧の敬称 「蓬生」に登場した禅師と同一人物と考えられる)に「皮衣まで取られた後は、寒くしております」という末摘花に、光る君は二条の邸の蔵を開けて織物を贈り、重ね着をするように世話をやきます。
尼衣の空蝉は、ひっそりと勤行しながら暮らしています。青鈍色の几帳は風情があり、年の暮れに贈った梔子色(くちなしいろ 赤味のある黄色)の衣の袖が見えていて、光る君は心惹かれますが、尼となった空蝉とは無難な世間話をしています。こんな風に、光る君の庇護で暮らしている女性も多いのでした。
今年は男踏歌(おとことうか 足を踏み鳴らして歌う宮中行事・踏歌で男性だけで行う)があり、宮中から朱雀院に参上し、六条院にも夜明けの頃にやって来ることになりました。光る君は、女性たちに南の御殿で見物するように伝え、玉鬘は初めて紫の上と明石の姫に対面します。
夕霧や内大臣の息子たちは、男踏歌に加わったなかでも美しく華やかで、光る君は夕霧を愛しく思います。光る君は六条院で、男踏歌の後宴として女楽(おんながく 女性が楽器を奏でる音楽)を開こうと計画し、女性たちは心の準備をするのでした。
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同じ邸にいるとはいえども、東京ドームよりも広い六条院の中で離れて暮らす娘から母が返歌される感動的な場面。このとき、明石の姫は8歳。親子が別れてから、5年の月日が流れていました。
紫の上に気兼ねしつつ、光る君が明石の君のもとに新年早々泊まったのは、いたわりの気持ちもあったでしょう。この身がふたつあったら、紫の上の方に子どもが生まれていたら、という葛藤のなかで。
「光る君へ」第37回は、道長に物語執筆の依頼を受けて(1004年)から4年経った1008年に敦成親王が誕生し、ようやく里下がりしたまひろが、逢えない間に大きく成長していた娘・賢子と会っていました。まひろが久しぶりに会った娘と打ち解けることが出来ないという描写は、明石の君が母として娘と交わした歌のやり取りや、光る君の葛藤が、活かされているのかもしれません。
それにしても、もう恋人とも言えない仲の女性も含めて、年の暮れにそれぞれに似合う衣を見立てて贈り、新年にその装いを見に足を運ぶ。光る君の女性たちへの気くばり、涙ぐましいほどのマメさは如何でしょうか。
(第15回「蓬生」の帖で-もっとも読まれている「源氏物語」コミック「あさきゆめみし」には、末摘花の兄が「黒貂の皮衣」を取り上げてしまい、末摘花がもっと寒くなってしまうというコミカルな描写があるのですが、原文には見当たらないのでコミックのオリジナルエピソードのようです。-と書きましたが、今回の「初音」の帖に末摘花の言葉として「皮衣をさへ取られにし後、寒くはべる(皮衣まで取られた後は、寒くしております)」とありましたのでお詫びして訂正いたします)
女優の宮本信子さんは、故・伊丹十三さんから結婚前に、全ての持ち物を捨てるように言い渡され、美しい、似合う服を作ってもらったとのこと。前回、「こんなに美しい容貌でも、田舎びたところがあるかもしれない」と玉鬘に新しい衣を贈った光る君と、60年代にファッションリーダーだったという映画監督の言動には通底するものがあるように思います。
第32回は、まひろの従者・乙丸と妻が諍い、「この人、私が紅を買おうとしたらそんな余計なものは買うなと言ったんですよ!」と怒る妻に対して、乙丸が「私はこいつが美しくなって他の男の目に留まるのが怖いのです。こいつは私だけのこいつでないと嫌なのです」と言ったのは、「こんな娘がいると是非とも人々に知らせて、色好みたちの心を乱して見比べたい」という光る君と真逆のように見えて、「自分の想うように相手を扱いたい」という束縛、支配欲としては同じ。
束縛は、ある程度は恋愛の要諦ではあるものの、ゆき過ぎればハラスメント。それともハラスメントにしないほどの魅力が、光る君にはありますかどうか。
娘としての玉鬘に初めて対面した紫の上は、光る君の衣装選びの際に「内大臣は華やかで美しいけれど、優美さが足りないところは玉鬘に似ているのだろう」と値踏みした通りと感じたのか、いかにも光る君が好みそうな女性だと思ったのかも気になるところ。
玉鬘は男踏歌で、内大臣の息子、実の弟たちを見たことでしょう。本当は声を掛け合える仲なのに、いるべき場所を違えている玉鬘を、姉とは知らぬ弟たちが、どんな風に思うようになるのかにも注目です。
さて、「光る君へ」第37回は、彰子が「源氏の物語」を美しい本に装丁し、一条天皇(塩野瑛久さん)に献上して喜ばれていました。
第19回で、ききょうの案内で定子の登華殿に昇ったまひろは、一条天皇に新楽府(しんがふ 白居易らが政治・社会を風諭した50篇の詩)を読んでいると見抜かれて「高者未だ必ずしも賢ならず、下者未だ必ずしも愚ならず(高い位の者が賢者であるとは限らないし、身分の低い者が愚者であるとも限らない)『新楽府 澗底松』より」と詠じていました。
第33回で、「桐壺」の帖を読んだ後にまひろに再会した一条天皇は、この新楽府の一節を詠じてから「朕の政に堂々と考えを述べ立てる女子は、亡き女院さま(一条天皇の母 詮子 吉田羊さん)以外にはおらなんだ故、よく覚えておる」「光る君は敦康(定子の産んだ第一皇子)か?あの書きぶりは朕を難じておると思い、腹が立った」「されど次第に、そなたの物語が朕の心に染み入ってきた。真に不思議なことであった」「朕のみが読むには惜しい。皆に読ませたい」と言い、物語は貴族たちの間に広まって大評判となりました。
かつて一条天皇は、定子にのめり込んだのは全て母・詮子のせいであり、自分は父・円融天皇に愛でられなかった母の操り人形だったと言い放ち、ルサンチマンの標本のようでしたが、まひろの描いた物語の力によって「政に堂々と考えを述べ立てる」母がいたからこそ今の自分があると気づき、ルサンチマンを手放し、己を正しつつあるのかもしれません。
「愛子天皇論」という類まれなる物語の力に狙い撃ちされた現代の為政者も己を正し、「愛子さまを皇太子に」戴ける世が早く来ますように。
【バックナンバー】
第1回 第一帖<桐壺 きりつぼ>
第2回 第二帖<帚木 ははきぎ>
第3回 第三帖<空蝉 うつせみ>
第4回 第四帖<夕顔 ゆうがお>
第5回 第五帖<若紫 わかむらさき>
第6回 第六帖<末摘花 すえつむはな>
第7回 第七帖<紅葉賀 もみじのが>
第8回 第八帖<花宴 はなのえん>
第9回 第九帖<葵 あおい>
第10回 第十帖 < 賢木 さかき >
第11回 第十一帖<花散里 はなちるさと>
第12回 第十二帖<須磨 すま>
第13回 第十三帖<明石 あかし>
第14回 第十四帖<澪標 みおつくし>
第15回 第十五帖<蓬生・よもぎう>
第16回 第十六帖<関屋 せきや>
第17回 第十七帖<絵合 えあわせ>
第18回 第十八帖<松風 まつかぜ>
第19回 第十九帖<薄雲 うすぐも>
第20回 第二十帖<朝顔 あさがお
第21回 第二十一帖<乙女 おとめ>
第22回 第二十二帖<玉鬘 たまかずら>
毎度思うことですが、光る君のマメさのすごいこと。
これだけ多くの女性にそれぞれ気を使って、世話をして、それで紫の上の機嫌を損ねないようには特に配慮しようとして、束縛はしてもハラスメントにはせずに、日々過ごしていくのも大変そうだけれども、そこまでの男だから、これだけモテるのかと納得もしてしまいます。やっぱり常人ではありませんね。